カリソメだけど愛してほしい

徒然なる日々をつらつらと綴っています。

希死念慮を退治する

なんか部屋中が焦げ臭い。おそらく 火にかけた鍋の中にある ビーフシチューが熱いよ熱いよって感じで 若干黒ずんできている頃合なのだと思う。これで家が火事になって 死んでしまったらちょっとダサいので 火を止めて さらについでに轟轟唸る換気扇を止めてきた。どうでもいい話を打ち込んでいる暇があるなら 睡眠時間を確保したほうが身の為だぞ!ともう1人の私が物知り顔で こちらを見ている気がするけれど ちょっと無視して 文章を書こうと思う。

 

先日 とある俳優さんが亡くなったという記事を見た。 私だけではない ほぼ日本中の全ての人が衝撃を受けたはずだ。私はその一報を目にした時 神泉の駅でギターを背負いながら 吉祥寺行きの各停を待っていたのだが 駅まで走ったせいで すごく暑くてフラフラしてたから ちょっとした目の錯覚かフェイクニュースか何かなのかと思った。きっと その人の健康的な笑顔が 死というワードとあまりに結びつかなかったが故の衝撃だったのだろう。

 

人は誰しも この世に生を受けたからには 死というものと隣り合わせに生きていて 私自身 そりゃたまには電車に飛び込みそうになることだってあるし ふわっと赤信号を渡りそうになることだってある。身体や肉体なんていうのは 結局 人の精神を包む空っぽな容器でしかなくて その人がどんなに 幸せそうな表情をしているように見えても 中身は藻掻き苦しんでいるかもしれないし 逆に高級な悩みを抱えたような顔で泣いていても 明日にはケロっと全て忘れていることだってあるだろう。

 

つまり 私達は私達の本当を他者にわかってもらえるということはないけれど それでもどうにか そんな未確認集合体が互いに分かり合う努力をしなければならないのだと思う。死にたいと思っている人に 死なないでって言葉は 正直あんまし効力ないと思うけど とにかくみんな生きてるだけで 息してるだけで 最高だねってマインドを 常に生成できたらそれが正解なのかもしれない。言いたいことがいつもうまく表象化できなくて とっても歯痒いけれど もう寝ないと 流石に課題が終えられなくて 進級できなそう。歯痒いままで おやすみなさい。