カリソメだけど愛してほしい

徒然なる日々をつらつらと綴っています。

ひしゃげた眼鏡

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「忙しいって漢字は 心を亡くすって書くんだぜ」

ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』より引用

 

とは言うものの ここ最近は 自分で溜め込んだ課題のせいで 心亡くし中です。渋谷を歩いていたら 眼鏡もひしゃげていました。みんなお疲れ。ところで 今日 いつものように ネットサーフィンをしていたら Google先生がオススメしてきた記事に イッツフォーリーズのミュージカルが 特集されたものがありました。私が 小学校5年生の時分 上に記したミュージカルに出演したこともあり 気になって タップすると その舞台は 私が勝手に 懐いていて 大好きだった(他意はない)吉田雄さんが出演する舞台で かつ 私の中では テナルディエでお馴染みの駒田一さんも出演するものであったのです。観たい。舞台なんて なんぼ観たって いいですからね。本当に 観劇の計画を立てよう。

 

さて 本日 何故 ひしゃげた眼鏡の写真を貼り付けたかというと それは ただ疲れていることを比喩する為だけではないのです。なんといっても ここに記しておくべき 恥ずべき出来事があったからなのです。その恥ずべき出来事とは 自分がこの眼鏡くらい ヒドイツイスト状態で 派手に転び 信じられないくらいデカい青あざを左太腿に作ったということです。真に喩えたいものとは お疲れの自分ではなく お転びの自分だったんですね。ここに記すことで 積極的に自嘲し この出来事を戒飭と成そうと思います。(このブログは 日々の記録であり 将来の自分に宛てた訓告でもあります。)

 

やや詳細に書き留めてゆきます。先日 友人と2人で 互いに無言で課題レポートを書き進める会を執り行いました。その日は 雷&豪雨&雹のグランドバトルが行われていたにも関わらず しぶちかを駆使することで 私は 1度も雨に濡れないでカフェに辿り着くことに成功しました。さらに レポートは順調に進み 心は若干の解放感に包まれていたのです。そう それが良くなかった。帰り道 渋谷から 結構な速度の早歩き(心逸る歩き)をし グングンと家まで 歩を進めました。なんだったら ちょっとでも 建物の飛び出した低めの段差みたいなものがあれば 登るなどして。エントランスまで 残り15m マンションの敷地内に入った時 駐車場の路面が濡れていることに気が付きました。そして ほぼ同時に 自分の履き物がゴム製のサンダルであることにも気が付きました。またさらには 普段とは比べ物にならないスピード感をもって 膝を動かしていることにも気が付きました。その3点に気づくや否や 私の左足はバランスを崩し キュッという音を立てながら 右前方へとひしゃげていました。咄嗟の判断で 左手に持っていたスマホと装着していたグッチの腕時計を死守すべく 左腕もあらぬ方向へとひしゃげることになりました。どでん。すると 斜め前を歩いていたお姉さんが 目を見開きながら わぁ!ともいやぁ!ともおわぁ!ともつかない 奇妙な叫び声をあげ 何故かイヤホンとマスクを外して 大丈夫ですかと こちらに手を差し伸べてくださいました。なんとお優しい方なのでしょう。こういう時は 有難く 手をお借りすべきだったのでしょうが 瞬発力だけは やけに長けておりまして 既に独力で 立ち上がることに成功していました。なんだか 恥ずかしくなって えへへ大丈夫ですよと言ったつもりだったのですが たぶん何も言葉を発することができていなかった気がします。何事も無かったかのように エントランスへ辿り着くと 母が犬を連れてちょうど散歩に出るところでした。痛かった旨を速攻伝えまして 私は帰宅することとなりました。

 

本当に馬鹿らしい出来事でしたが 私は ここから1つの教訓を得ることができました。それは 人生の倖せの量と不倖せの量は 秤に載せたとき 必ず平等になるように出来ているのではないかということです。なので 良いことが続くと 必ずちょっとアンハッピーなことも起こると思います。逆も然りですが。だからこそ 我々人間は 自ら苦を進んで引き受けることで 福を呼び込むことができるのではないでしょうか。苦 つまり 地道に努力を重ねることが 倖せへの1番の近道なのですね。ですが 人は継続することが苦手な生き物です。そこで 私は考えました。少しでも 皆様を倖せに導くために 何かお手伝いは出来ないか と。年間 少しの"お気持ち"を奉納していただくことで "あなたの人生に ほんの少し 倖せの量を増やす"教えを薦めることができます。如何でしょうか?この機会に 工藤教に入信してみては?

 

※最終段落はフィクションです。