カリソメだけど愛してほしい

徒然なる日々をつらつらと綴っています。

彼岸花は等間隔で咲く

https://youtu.be/Rrz_zpc-PPA

水中、それは苦しい『保育園落ちた、吉田死ね』

 

11/1 昼

大学近辺カフェルノアールにて。二限が休講になったので 一服。友達もすることも学祭の準備も私には存在しないので ちょっと高いアイスコーヒーとBLTサンドで 自分の機嫌を取ることもできるのだ。あ、マニキュアが剥がれまくっている。塗り直さなければ。このブログはね ひと月以上前からしたためていたもので 公開ボタンを押し続けなかった結果として 今日更新することになったのですよ。時系列ぐちゃぐちゃですが よしなに。

 

10/2 夕暮れ

時の流れとは 残酷な程 早いもので 今年も残すところ僅か3ヶ月。もう既に10月のくせに 日差しは刺すように痛い。新宿で 日陰から日陰へと飛び回った今日この頃。それはそうと10月から 私の暮らしが新しくなる。新生活ドキドキワクワクキャンペーン。ということで ちょっと前の近況を供養しようと思う。

 

9/18 朝

特急列車こうのとりに乗って 大阪を離れ 兵庫県の江原まで。窓の外 見えるは 山、田畑のみ。その中でも 律儀にも 等間隔で咲く彼岸花が大変美しく 可憐であったこと そして私の喉の渇きと睡魔はピークであったこと それらを此処に記しておく。

9/18 昼

江原着弾。何もない土地であった。何故 このような過疎化した田舎に 特急列車が停まるのか。特急が停まらないこの辺りの田舎は 果たして何処まで田舎なのか。と 軽く脳内で毒を吐いてから 唯一と言っていいほどの人がいる商店街へ。しかし まあこの商店街も 軒並み シャッターは降りたままで たった一軒だけ営業していた みゆきという定食屋へ。焼き飯五百円。美味い。安住の地という演劇集団の『丁寧なくらし』を観劇した。こちらは 一人芝居の形式を取った作品。戯曲も購入した。これがなかなかに興味深く 文字上と実際の表現には 大きな隔たりがあることを感じた。身体表現を中心としたこの作品は 私たちの身体が私たちの完全な支配下にあるようで そのような完全性は持ち得ないということを示唆しているようだった。

9/18 夜

城崎の温泉街へ。志賀直哉hshsとか 脳内で打ち込みながら 学科の友達二名と川沿いの温泉街を練り歩いた。一の湯という温泉の外装は 歌舞伎座を模しているらしい。本物の歌舞伎座とのほうが親しみ深いせいか ちょっとタッパが足りないのではないか?旅に疲れて目を細めれば 見えなくもないか?などと イチャモンをつけまくる嫌な劇場評論家みたいになってしまった。しかし この温泉 志賀直哉の『城の崎にて』に登場する温泉なのである!それはポイントが高い。しかも マッサージチェアが痛すぎて 肩甲骨はがされまくって 姿勢が一時的に良くなった。有難い。柳湯は とにかくお湯が熱い。友達二人はヒィヒィ言っていたが 家の温度設定が46℃の私としては まあ序の口といったところ。母 いつも お風呂の温度設定高くしてくれて 有難う。

 

9/19 昼

やっとこさ帰郷。渋谷駅地下にあるUPLIGHT CAFEという所で 雨宿り。あと30分程で 雨は止むらしい。台風から逃げることに成功した。文明の利器 新幹線はバリ速いぞぉ〜!ちなみに 大阪で買ったやけに大きなビニール傘は あまり活躍する場面もなく ただのお荷物と化している。

9/19 夜

高円寺ウーハでライブ。此処は来年の一月には無くなってしまう。かなしい。今日は店長の瀧川さんがシールドをくれた。私は ぬらぬらと光る質の悪いシールドしか持っていないから 毎回「変なシールド使ってんだね」とイジられていたのだけど 思い立ったように 長くてぶっとい頑丈なシールドをくれた。プラグはがっちりとしたL字型。有難うございます!って言ったんだけど ありがとうという言葉以上に 嬉しかった。

 

纏め

言葉は 我々の想定以上に雄弁ではなく 身体性とかビジュアルとかそれら諸々の言語を介さないもののほうが余程多く語り掛けてくる気がするのです。言葉を扱う仕事をしたいと思いつつも 言葉の持つ重さ鋭さ伝わらなさに 絶望する毎日です。今日のフランス語の講義の中で 先生が公正世界仮説とやらのお話をされていましたが それを扱うことの危険性に すごく納得しました。公正世界仮説というのは 何某かの事件や事故の被害者を必要以上に部外者が責め立てるというものです。その心理の根底には 被害者に何か落ち度があったと責めることで 自分はまともに生きているから安全であるなどという意味の無い安心感への希求があるのだそうです。己の精神安定、痛み止めの為に 他者の痛みを代償とするなんて おかしな話ですね。ちなみに この講を纏めと書きましたが フランスやギリシアなどヨーロッパの演劇では ラストは纏めたり締めたりするのではなく 開くのだそうです。カタルシス!それでは 演劇研究の講義に行って参ります!