カリソメだけど愛してほしい

徒然なる日々をつらつらと綴っています。

わたしの一番だめなところ

人を試す癖があるところ

どこまでわがままを言っても、当初と変わらない愛をくれるか試してしまうところ

だから初めに「どうせいつかは飽きるでしょ?」って、貴方の気持ちが変わらないかどうかを聞いているのに、みんなその場凌ぎで適当に永遠を誓うことが許せない。

「永遠なんて訪れない」と歌にしてわかったつもりでいるのに、毎回信用して裏切られて泣く自分が不甲斐ない。

でもそれにしたって信念を貫けないやつは嫌い。

どうしてみんな嘘をつくのだろう?

「俺から飽きることはないよ」とか言ってたけど、私はどんどん貴方への感情がデカくなっていくだけだから貴方の気持ちが萎んでいけばいくほど、私たちの間には埋まらない空白が生まれることをどうして想像できないの?

あんなに好きだって言ってたときと眼差しが変わることに耐えられない。

私に興味がなくなったのならそう言ってくれればいいのに。

たとえば一緒に食べようねって言って買った美味しいパンを先に一人で食べちゃうところとか悲しい。とっても悲しい。

「別にそんなことどうってことないし意味もない」と貴方は言うかもしれないけれど、今の私はありえないくらい感傷的で最低最悪な気分だから、そんな小さなことすら涙の要因に変えてしまう。

 

現在ひどく憂鬱で未来のことを考えるだけで涙が止まらない。それは恋愛における憂鬱さだけではなく、それに伴う様々があることは承知している。仕事に関する不安、好きなことに対する愛を失っていく不安、恋人を失いその愛へ執着しなくなることで友だちにバカデカ感情と独占欲を向けてしまい友だちにも愛想を尽かされ彼らを失ってしまうこと。

 

全てのものを愛したいけど、愛せる余裕と優しさを失っていく自分のことを認めたくなくて、全部何かの所為にしたい。友だちとか家族とか恋人とか会社とか社会そのものとか。

 

寝ても醒めても憂鬱で、というのも夢の中では三軒茶屋のライブハウスに行って、その後歩いて青森に行ったりした。真っ黒なバンに乗って向かっていたのだけど、途中で反社にバンから引き摺り降ろされて、自分はアシカにされてしまった。そしてブルーシートの上を歩かされた。一緒にライブハウスから歩いていた周りのおじさんもセイウチとかその他諸々海陸両用っぽい海生哺乳類って感じの生き物に変えられていた。私は左前足?的なものを切られてそのまま歩くように指示されたのだけど、ちっとも痛くなくてひたすら青森に向けて歩を進めた。

 

そうだ青森に行こうかな?少し気分が晴れました。今から大学時代の友人に会いに、浅草まで行って参ります。

水捌けの悪い街、錦糸町

https://youtu.be/mCMVgSsvqrc?si=oHbMRZPjYqaSzGC9

308pond『ラブソング』

まだ聴いていない音楽をあげます。備忘のために。

 

さて もうすっかりとご無沙汰になってしまったこちらのブログでございますが ちまちまとでも気が向いた時には ひっそりと戻ってくる場所であらせてください。こんばんは2:22。

 

いやそれにしても 今夏は 本当に驚くほど 冷涼で過ごしやすく 毎日がお散歩日和 伊能忠敬界隈も大歓喜の気候でございますね。風の涼しい夜もすがら 誰にも邪魔されることなく歩き続ける この身の清々しいことなんとやら。ちなみに まったくもって話は飛びますがね この世の診断 本当に至る所まで網羅されておりまして 神社属性サーチなるものまでございます。わたくし 風属性なのでございますけれども きちんと属性の例にも漏れず 広くて風通しの良い川沿いなどが大好物なのです。

本日も 夜のお散歩といきまして でっかい二本の川が交わったぶっとい橋をゆらゆら歩き続けました。まあでもね本当に このように雨の降らない日ならばね 至高なのですよ お散歩も。とっても超very 気分の良いものです。ただね ひとつ忘れちゃいかんのが わたくし梅雨生まれでありながら もっぱら雨の日に外に出るのは大嫌いということです。このところ 雨っつうのはひどうござんしょ?ったく やってられんけんでられんけん。こちらが濡れない場所で 雨音に包まれることや もはや存分に濡れてどうぞと言わんばかりの水たまりにぱしゃんとやれるくらいの気概がある日なら構わないのですがね。

働き始めて早二年 雨の日の通勤・退勤などたまったものではありません。総武線の車内 嫌に濡れたねずみ色の床と湿った人間の皮脂の匂いなど 五感を全て閉ざしたくなるような最悪の地獄です。ビニール傘につけたお気に入りのめじるしアクセサリーを見つめながら なんとかやり過ごすしかないのです。でもね 最近購入した灰色のマーメイドスカートというのは どこまでも魅力的な効能を持っていて あれを身につけている日だけは 改札を抜けて雨のコンクリートを歩く時 非常に相性が良く 本当にどこまででも泳いでいける気がするんです。宇多田ヒカルの人魚など聴きながらね。

あ もうそろ終わると思いました?いやまだ少しばかり 愚痴らせてくださいな。日々 私が一部品として嵌め込まれている社会について。私の人生とは 「生活」「社会」「趣味」の三つの要素にて 構成されていると認識しております。そのうち 「社会(学校や会社など 自分が社会的動物としての立ち振る舞いを強制される枠組み)」におけるピークは 3歳から18歳まででした。仔細な情報については またいつか語るとして とにかく 大学入学以降 自身の持ち合わせる社会的スペックの低さには 茫然自失・阿鼻叫喚・呆れてものも言えませんというレベルで 非常に驚かされてまいりました。現在 お仕事で広報的文章を書く業務などをしておりますが 私の持ち合わせる対人コミュニケーションにおける繊細さと それでいて変に突発的で無計画という 相反する悪質な性質を両立させた行動で 「社会」における充足度は 本当に過去最低辺のものとなっております。

このように 文学的叙述的文章であれば いくらでも私のボキャブラリーは火を吹くというのに。ちょちょいのちょいでこの通り 1600字ですよ。いやはや お仕事的文章が書けないのは ビジネス書を毛嫌いしてきた弊害でしょうか。それでも 常に自分の身にある潔白の基準を汚したくなくて ただひたすらに哲学を思考する夜だけを愛しているのです。どんなに寝不足で 仕事にならなくたって構わない。だって お金につながる作文に 正直興味はないんですよ。


まったくね 八月初旬に財布を無くし 全ての身分証明書を紛失して以来 いわゆる社会に属していない正体不明の今日この頃 妙に居心地が良くて このまま自分の人生から「社会」という項目がなくなって 「生活」と「趣味」だけで 悠々自適に生きることができたらなぁなどと淡く儚い希望を抱いたりするのです。雷光切り裂く霧中のスカイツリー。こういった光だけは失われず それでいて鉛色の空の街、錦糸町。本日も眠らない街にて そろそろお暇とさせていただきます。

コセチャタラパカ!

神楽坂のイタリアンで飲んでいた

家に同居人を待たせて帰宅する総武線で

思い出すのはママのヘアスプレーとタバコの匂いが混ざった香り

きっとワインをたくさん飲んだふやけた瞳

心細くて祖母と続けた自由帳の絵しりとり

ママに抱きついたとき安心するその香りが私のルーツであるということ

涙でふやける総武線秋葉原駅のホーム

明日も仕事

自由とは

AirPodsが奏でるハヌマーンの音楽であったりする

声をあげるのは素晴らしいことですか?

https://youtu.be/Kx5fyiVsopg?si=5AdV33dzxT6mRsnQ

挫・人間『わりきれないよ』

 

綺麗に纏めることのよさとよくなさ

ミニマルであることのよさとよくなさ

ロジカルであることのよさとよくなさ

挙手制多数決のよくなさしかなさ

正しさの強要 吐き気を催す

 

2025/08/29

今日は父方の祖父の誕生日だった。今思い出した。既に云年前に亡くなってしまったのだけど。私が思い出す限り 祖父は何度でも祝われるし 死なない。

私の心の中には 常にちょっとした卑屈さと結構大きなアングラ精神が宿っていて ロジカルな表明を高らかに掲げてしまうことに えもいわれぬ寒イボと反骨精神が屹立するのである。まるで 祖父が生きた時代の安保闘争のようだと 自分の精神性に伴って 血の気の多い祖父のことを思い出したのであった。

 

2025/09/06

新宿純喫茶凡。クリムトの接吻カップかわいい。カウンター1番左の席に通されたのだけど 椅子が動かなくて不便だった。帰りしな店主と思しき?おばちゃんが私の真っ白なレースのブラウスを褒めてくれた。さっきまで 他の店員と激しい口論をしていたのが 真っ赤な嘘みたいだ。正しいとか正しくないとか そういうの接してみないとわからない。私にとっての正しさが 誰かの精神を蝕んでいるという可能性も 忘れてはならないのかもしれない。

 

2025/10/08

水曜日新宿駅。アロハに短パン 薄汚れたカーキ色のキャップを被ったおっさんが 東南改札から出てきた。おそらくでかいfuwafuwaの固形物を仕込んだであろうケーキの箱を持っていた。欄干を背もたれにしゃがみ込むと おっさんはまんまるなチョコレートケーキをその箱から取り出した。私のでかい瞬きの隙に ぺろりと食べ切ってしまったようだった。おっさんはむくりと立ち上がると 目の前の自販機をじろりと一瞥し 指をひと舐め そのまま何も買わずに立ち去った。ピースフル。誠にピースフル。昨日 原宿で行われていた「Peace for GAZA」って感じのデモよりも 遥かにピースフルだった。私のなかで 目の前の人の幸せを願うことが 目に見えない地球の裏側やら何処かやらの幸せを願うことよりも よっぽど超偽善的(ここでいう超はスーパーじゃなくて 超次元とかの意味と同じ超越の超)で transparentな祈りなのかもしれない。

時刻は21時。珈琲貴族エジンバラ。木のコースターに 結露の水溜まりが揺れている。氷で薄まったオレンジスカッシュの中心には 食べ損ねたさくらんぼ。偽物のさくらんぼ。先刻飲み下したモッツァレラのベーグルサンドが恋しい。文を書いて 文筆に心血を注ぐことで 気圧や破局の体調不良の根源を打破することができるのかもしれない。

五月雨式不幸論

2025/07/09

19:00。今日ケンタッキーにしない?!(cv:高畑充希)ということで 仕事の疲れも全て吹っ飛ぶくらいハッピーでラッキーなんべいべーとニヤニヤしながら 商店街を通り抜けて帰宅。社会人 自分の機嫌は自分で取るのだ。誰にも期待しない。自分で調べて 自分でこなす。仕事もプラベも全部自責。などと真っ白な部屋で唱えていると 佐川のお兄さんから ZOZOで買った リボンを調節するとギャザーくしゅくしゅになる めっかわ水色シャツを届けられた。しかも ユザワヤで買った これまためっかわのビーズネックレスの手作りキットも届いて 本当に本当に幸せで 今日一日がなんとも平和で 最高な気分で終われることにワクワクしていた。

うたた寝しかけた22:00。カーテンが揺れる。カサカサという音。黒い影。まさかまさかだよ。2年半前から一人暮らしを初めて 一度だってそんな経験はなかったのだから。いいえ。現実は無情。黒デカG発生。たぶん社用のマウスと同じサイズ。でかすぎる。あまりに。大きすぎるが故に 初めはGであるということを認識できなかった。ということで発狂。母に電話。救助&抹殺要請。しかし今からは行けないという。ママは心臓が痛いとかなんとか。それは大変だ。祖母に電話。仕事終わりだというのに来てくれた。最近 半月板を損傷したその足で来てくれたのだ。本当に馬鹿で情けない孫娘であることよ。その間も私は発狂。アイツと何度目が合ったことか。しかも私目掛けて飛んでくるし。祖母が到着した時 私はTシャツのみクロックスで ベッドの上に立っていた。アイツがどれだけ恐ろしいか 貴方にはわからんでしょうね。終電逃してタクシーで 祖母の家に泊まった。

 

2025/07/10

勿論豪雨なのだが 私はでこぼこフレンズのメロディーヌのチャームをぶら下げた傘と鍵とスマホのみを握りしめ 走って外へ飛び出した。本当は近所の商店街で バルサンが終わるまで ゆっくりお茶でもしようと思っていたのだが 既に閉店。仕方なく 電車に乗って新宿へ。知人 (9つも歳下のパンクでキュートなおんなのこ) がこの豪雨のなか ギターを背負って 下北に行くというから 私も行こうと思った (元々約束していたとはいえ 流石にこの豪雨のなか やりすぎだろうとは感じていた。) のだけど 小田急線も京王線も動かなくなった。もうどこにも行けないの気持ちになり タクシー乗り場へも行ってみたのだが 案の定長蛇の列。仕方なしに 西新宿のルノアールで フォカッチャ!を食べて 限定のカカオのドリンクを飲んだ。苦かった。チョコを食べたことのないアフリカの子どももびっくりの苦さ。くそどうでもいいことなのだが この店で auペイ利用者初めて見た。しかも2回連続で。苦いカカオドリンクに顔をしかめながら 色んなことを考えた。このブログをポチポチ打ったり 久々に人生について考えたり。幸い総武線は動いていたから お家に帰った。でも Gが死んだ確証はなく 恐ろしさに脳が支配され また祖母の家に行った。私はいつだって弱い人間で 一人で生きていけないことなどわかりきっている。それでも 孤独を愛す瞬間が非常に多々あり 自らの多面性に精神が揺さぶられてしまう。友だちもみんな大好きだし 家族も好きだし みんなと一緒にいたいのだけどね。大切な人しか 大切じゃない。世間というやつは きらい。でも 会社では社会適合者として 生きるしかない。明日も仕事で嫌だなのきもち。とりあえず 息して 歌うしかなくて嫌になる。明日も息して 歌いましょう。

ガッテム五月

https://youtu.be/YRSG5DeZV6Q?si=ZEHom7elinLQAZ84

クリープハイプ『ままごと』

漫画『ねずみの初恋』さいきんちょうどハマってて ちょうどクリープとコラボで嬉しくなった。

文筆リハビリ。

4月から働いており 目まぐるしく時が過ぎるため 文を書く暇すらなかった。もっとたくさん書きたいことや書き記すべき新鮮な情景があったのに 社会に適合することで忙しかった。同期との飲み会やビジネス書を読むことで 満たされる日々に あかるいミライはあるのだろうか?わからん?考えるだけ無駄なのかもしれない。唯一の娯楽は YouTubeとTikTokとNetflixに成り果てた。趣味だったバンドのディグや積読を片すことも難しくなった。

ひとつ 嬉しかったこと。毎朝家を出て 駅までの細い坂道を小走りで駆け下りるのだけど いつも下った先には おばあさんが立っている。彼女は 恐らく孫であろう小学生にいってらっしゃいと声を掛けているのだけど 昨日は 私にもいってらっしゃいと声を掛けてくれた。初めは私への言葉だと気づかなかったけれど 振り返ってみたところ 笑顔がこちらへ向けられており 心がじんわり温かくなった。もっと大きな声でいってきますと言いたかったけれど 綻びの笑顔と小さな声が精一杯だった。

あとは 帰り道の月が細いとか 椿が綺麗とか 雲が鱗みたいだとか JRは窓の外が見えるからなんとか耐えられるとか ギターを弾かなくなって爪を伸ばすからタイピングが遅くなったとか ホントにくだらないことしか日々考えていない。

会社での評価とかそういった類いの正常なルートに乗せられれば乗せられるほど カウンターで在りたくなって 気持ち悪くなる。誰にも頼まれていないのに 正しさや自由を熟考して 自分で自分を雁字搦めにして それを解こうとする。きしょい自作自演。明日は暑くなるらしい。みなさん達者で。