カリソメだけど愛してほしい

徒然なる日々をつらつらと綴っています。

知らない方が楽だけど知るなら全知すれすれまで。

 

 

今までなんの憂いもなく 自分が一番だと信じていたのに 不意にそれを崩されたりしてしまうと そこからもう二度とは同じ価値観を築きあげることはできないようです。

 

ソクラテスの言葉に「無知の知」というものがあります。己が無知であるということを知った時に 初めて「真の知」行きの切符を得ることができるという訳です。真の知を得る一途に ある種快感を覚えることは 少しでも勉学を齧ったことのある人間ならば 経験のあることでしょう。しかし よくよく考えてみれば そんなもの一時の戯れに過ぎず どれだけ人が努力しようとも 全知全能なるものに 到達することは不可能なのです。むしろ 生半可な気持ちで無知からの脱却を図ってしまうというのは ただ後戻りはできないのだぞという宣告を受けただけに等しく なんだか「生半可な知」への底知れない恐ろしさを感じずにはいられません。

 

それでも 無知というのは大変お気楽なもので 純正以外の何物でもない為に 一度知識を得てしまった人間には まるで興味がないかのように 背を向けて去っていってしまいます。待ってよって言っても もう顔を覗かせることなどありません。悲しいかな。

 

ともかく 私が本当に言いたいことはこんな言葉遊びなんかではなくて やっと華の大学生にもなったのに だらけた日々を過ごし なんとかタスクをこなす そんな知への怠慢を体現したかのような自分に嫌気がさしたということです。

 

そして 少しでも 無知からの脱却ゾーンに足を踏み入れてしまった身ならば 飽くことなき探究心を掘り起こして そこらに転がる怠慢を蹴散らしてみたらいいじゃないか!と自らに発破をかけたいと思います。

 

こんな夜中にコソコソとこれを書いてることがそもそもの事案なのですが とりあえず明日は頑張ろうと思いました。おやすみなさい。