カリソメだけど愛してほしい

徒然なる日々をつらつらと綴っています。

啼哭

私から言えることは 何もありません。いつも諦めて どこか卑屈で 誰かに夢を託すような 寒い大人にはなりたくありません。私の卑屈は 生まれつきですので そこに誰かを傷つけるような意図はありません。食べても食べても満たされないし 買っても買っても満たされないのです。部屋の中に 柔軟剤の匂いが充満しています。その事実だけで 私の体はゆったりとベッドへと沈んでゆきます。信じて疑わないというのは 何も知らない子どものうちだけです。生活の組み立て方を知り 社会の汚い部分を見ると 清く正しく生きようとすることに ウンザリしてしまいます。遺書に傑作はないと 死について考える大学の講義で聞きました。何故なら 遺書は上手く書けたら 自分が生きているうちに それを誰かに見せたくなるからだそうです。誰しも 自分の生み出したものを評価してほしいと 最期の最期まで考えてしまうなんて 人間は他者からの肯定を得ることでしか 人生を紡ぐことができない矮小な生き物であると感じます。りんごジュースを飲みました。あんな小さなパックですら ¥80もするような 絶望的な世界に産み落とされてしまったのだと 本気で悲しくなりました。貧困という経験をした記憶がないのは 母が私を守っていてくれたからです。月曜日から金曜日まで バイトをパンパンに詰めても 家賃と生活費でほとんど全てのお金はなくなってしまいます。これから奨学金を返すために 毎月少しずつお金を貯めているのですが そんな経験すらすることもなく ただ怠慢に大学生活を過ごしている人間が恨めしくなってしまいます。シャワーを浴びている時は いつも楽観的な気持ちになりますが ベッドの上では いつも暗い気持ちで 天井を眺めることしかできません。私の好きだった娯楽たちは 何の心配もなく明日が来ることを疑わない 贅沢な人間しか楽しめないものだったのだと 今更気付かされました。生きていて 産まれてきて良かったのだと 今後思える日が また来ることを願っています。